犯罪者と炎上した人とは違うとおもう。敢えて後半のみについて書く。
ネットに「攻撃された」人はいっぱいいる、ショーンK、オボカタさん、北条かやさん、オリンピックエンブレムをつくった人。これをAさんたちと呼ぶことにしよう。*1
炎上が始まると、Aさんたちによる炎上マーケティングを狙った釣りだったんでしょう、とうがった考えをするひとまで出てくる。
もともとのAさんたちからみれば全員敵だ。
でも、じゃあ最初の攻撃(Bさんによる指摘)がなければいいとはならない。
だって最初の攻撃とは「正しさ」を求めた指摘だけなんだから。だれだって間違ったものを見たら「それは間違いだ」と言う。その間違いがBさんたち多人数を事実上、害するものなら指摘に削除要請とか「本当に理解して誤ってるんですか」との指摘だって混じってくる。たまたま、表現することを職業としている人は困ることになる。ブロガーの卵、文筆家の卵、講演で喰っていきたい人、などは、おだやかな訂正要請、削除要請でも、喰っていく手段への攻撃と重要に受け止めてしまう。「本当に理解しているんですか」にも「怒られた!人格攻撃された!」とうけとめ、すぐしらべなおし事務的に処理することがなかなかできない。*2
最初の攻撃をしないことだって不可能。だってAさんたちこそは最初に攻撃をしてしまった人なのだから。反撃をうけているだけなのだから。
攻撃と反撃の繰り返し、相手への不快な法的手段のフィードバック。これらをとめるために「世間のやさしさ」を求めるのはまちがっている。ネットも世間も「正しさ」で動いている。あらかじめ調べないでうかつにセンセーションを狙った文章を書いたり意見表明をしたりするとだれかのしっぽをふんでいる。看過できないほどの例外のない尻尾踏みから炎上が始まる。あらかじめしっぽをふまないよう調べる正しさ、見識、経験値、のことをネットにおける本当のやさしさと定義するべきではないか。となればやさしさがなかったのはAさんたちということになる。*3
人権があるだろうにという指摘はただしい。Aさんにも、Bさんにも同じ人権がある。でも犯罪すればその人権が侵害されることも法で定まっている。
誤ったことをしたり言ったりすることが、人の怒りを受ける社会であることは、日本が本当の意味でやさしい社会であることと矛盾しない。ただし、AさんやBさん、どちらの立場であっても、すぐに心に傷を受けた人のための専門家によるカウンセリングがうけられるしくみになってないのは問題だとおもう。見識がなかった、未熟だった、死んでお詫びをしたいとまでいっても、口先だけのお詫びだとゆるしてもらえなかった。怒りはもっともだが混乱してどうふるまえばよいかわからない。そういう事態こそ、プロを尊重し、プロにまかせよう、という気運がなぜか育たない。(日本の出版社もあやふやで大先生以外にはそういう相談を気軽にうけてないんだろうし、一般的なカウンセリングや法曹家の質もあまりよくはないのだろう。)
プロのアドバイスは高価だといわれるが、ネットで一生名前が出るよりはずっとマシだとおもいますけど。*4
神がいなくてもプロが手をさしのべられない世の中はやはりすこしおかしい。
とりあえず人力検索自体はカウンセリング(心理)の場などではない*5ので、今後も空気を読まずに「正しいこと」が容赦なく指摘されるとおもう。(過疎ってるから答えがつけばの話になりますが)。そもそも「正しいこと」よりカウンセリングが欲しい人はプロのカウンセラーか「蓮の葉」、法曹の手助けがほしければ法テラスや士業の人、医療アドバイスにはかかりつけ医などのご利用をお勧めします。